砲弾型電池式ランプを考案、発売
大正12年、「砲弾型電池式ランプ」のホーロー看板。
松下電器における屋外ポスター広告の始まり。
大正12年(1923)3月、松下幸之助創業者(当時所主)は「砲弾型電池式ランプ」の開発に成功した。特殊な組立電池と新型の豆球を使用したもので、電池寿命30時間以上(当時2、3時間が普通)という画期的なものであった。
昭和2年(1927)、自転車用だけでなく、手提用の「角型ランプ」を考案。「ナショナル」の商標をつけた最初の商品として大々的に発売。昭和6年(1931)から7年の深刻な不況時にも、年産600万個を突破する。
この大ヒットは、乾電池の販売を加速度的に増大させ、その需要に対応するため、昭和6年9月、小森乾電池の工場を譲り受け、自社生産を開始。昭和7年、岡田乾電池の辻堂工場を譲り受けるとともに、門真乾電池工場も建設、昭和8年(1933)には三郷地区に工場を建設、昭和10年からこの地を乾電池事業展開の本拠とした。
乾電池は、戦前、最高300万個を販売し、ランプとともに、松下電器の発展に貢献した。
※社史史料の社名の表記は当時の名前で掲載しています。